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ムンダ (USS Munda, ACV/CVE-104) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の50番艦。 ==艦歴== 1944年3月29日にワシントン州バンクーバーのカイザー造船所で起工する。当初はACV-104 (補助空母)として建造されたが、1943年7月15日に CVE-104 (護衛空母)へと艦種変更された。1943年9月23日にトノウェク・ベイ (Tonowek Bay) と命名されたが、1943年11月6日にムンダへ改名された。1944年5月27日にジェームズ・E・ダイアー夫人によって進水し、1944年7月8日に海軍に引き渡されL・A・ポープ艦長の指揮下就役した。 西海岸での整調後に太平洋艦隊(チェスター・ニミッツ大将)の空母輸送部隊に配属されたムンダは、1944年8月16日に単艦での処女航海に出航する。71機の航空機と202名の兵員を乗せ、9月1日にエスピリトゥサント島に到着。続いてフィンシュハーフェンとマヌス島に向かい、その後アラメダ (カリフォルニア州)に帰還した。二度目の輸送任務は12月5日に完了し、12月12日に三度目の輸送任務に就く。その後も輸送任務を継続し、1945年中旬まで三度の航海を行った。ムンダは7月3日にエニウェトク環礁で第30.8任務群に加わり、第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)へ航空機とパイロットを運搬した。 ムンダは7月20日に任務部隊に合流し、26日まで同地に留まった後補給のためグアムに向かう。同月末に出航し、8月3日に第38任務部隊と再び合流。空母への補給を行い、7日と11日にも同じ作業を行った。8月13日に艦隊を離れ、グアムへ向かう途中に日本の降伏を知る。ムンダは第30.8任務群に再び加わり、日本占領の第一陣とともに最初の週を沖合で待機し、9月10日に東京湾に入る。 10月2日に東京を出港し、マジック・カーペット作戦に加わる。翌年にかけて帰還兵を輸送し、同任務が完了すると1946年1月18日にワシントン州ポート・アンジェルスで不活性化の準備を始める。ムンダは1946年9月13日に退役し太平洋予備役艦隊に加わり、タコマに停泊する。1955年6月12日に CVU-104 (雑役空母) に艦種変更され、1958年4月19日にブレマートンに回航される。その後、ムンダは9月1日に除籍され、1960年6月7日にニューヨークのジェネラル・オーレ社に売却、大阪で解体された。〔中井 八郎「神戸港 徒然の記 米海軍の護衛空母たち」『世界の艦船』2007年8月号(通巻第678集)、162頁〕 ムンダは第二次世界大戦の戦功での1個の従軍星章を受章した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムンダ (護衛空母)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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